安土桃山時代
1600年、池田輝政が関ヶ原の戦いの戦功により三河吉田15万石から播磨52万石で入城した。輝政は徳川家康から豊臣恩顧の大名の多い西国を牽制する命を受けて1601年から8年掛けた大改修で姫山周辺の宿村・中村・国府寺村などを包括する広大な城郭を築いた。中堀は八町毎に門を置き、外堀からは城下と飾磨津を運河で結ぶ計画であったが輝政の死去と地形の高低差の問題を解決できず未完に終わる。運河計画は後の本多忠政の時代に船場川を改修して実現することになる。普請奉行は池田家家老の伊木長門守忠繁、大工棟梁は桜井源兵衛である。作業には在地の領民が駆り出され、築城に携わった人員は延べ4千万人 - 5千万人であろうと推定されている。また、姫路城の支城として播磨国内の明石城・赤穂城・三木城・利神城・龍野城・高砂城も整備された。
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