鎖国
1638年の春に幕府は、島原半島と天草諸島のキリシタンの百姓が起こした島原の乱を鎮圧した。それ以降幕府は、キリシタンの摘発をより強化し、禁教の徹底のためにカトリック国であるポルトガルとの関係を断絶しようとした。しかし、現実には、ポルトガルがマカオからもたらす中国産の生糸などが当時の日本にとって必要不可欠であり、オランダ東インド会社への信頼に不安を感じていたため、幕府は、1638年にはポルトガルとの貿易の断絶に踏み切れず、その代わり、マカオから江戸に派遣されたカピタン・モールの将軍への謁見を拒否するだけにとどまった。
コメント
コメントを投稿