アヘン戦争と日本
アヘン戦争での清朝の敗北は、鎖国中の日本にも長崎出島に来港するオランダ船がもたらす情報で伝えられ、江戸幕府も知るところとなった。また琉球は薩摩藩に服属していたが、清にも服属する両属の関係にあったので、清への朝貢使節を通じてアヘン戦争情報は薩摩藩に伝えられ、薩摩藩から幕府に知らされた。幕府は1825年に異国船打払令を出していたが、清朝がイギリスに敗北したことを知って、1842年8月28日に薪水給与令をだし、対外強硬姿勢を改めている。同寺に、高島秋帆の西洋流砲術を採用し、江川太郎左衛門にそれを学ばせるなど軍備強化を図っている。また林則徐の友人の魏源の著作『海国図志』がいち早く輸入され広く読まれている。1853年のペリー来航からわずか11年前のことであった。
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