経緯~黒船来航~
モリソン号事件やアヘン戦争に於ける清国の敗北もあり、1842年8月28日に江戸幕府は異国船打払令から薪水給与令に改めた。外国船が日本に寄港を望む場合には必要な食料や薪水を与え、速やかに退散させるように努めること、ただし上陸させるなというものであった。幕府は方針変更を長崎のオランダ商館長に諸外国に伝えるよう要請した。しかし、西洋諸国の中で対日貿易を独占していたオランダは、1844年に日本に開国を勧める国王ウィレム2世の親書を渡しただけで、幕府の方針変更を1851年まで諸外国に知らせなかった。この変更も開国を意味せず、諸外国の船舶には穏便に帰国してもらうことが目的であった。幕府は海軍を持っておらず、老中の水野忠邦は、江戸湾がもっとも狭くなる観音崎-富津間で、敵艦が一隻でも封鎖行動に出れば、江戸の全消費量の6割以上の物資を運搬している廻船が江戸に入ることができなくなることを恐れた。
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