背景~信西の執政~
1156年の保元の乱に勝利した後白河天皇は、同年閏9月に『保元新制』と呼ばれる代替わり新制を発令した。「九州の地は一人の有なり。王命の外、何ぞ私威を施さん」と王土思想を強く宣言したこの新制は、荘園整理令を主たる内容としていた。鳥羽院政期は全国に多くの荘園が形成され、各地で国務の遂行をめぐって紛争が起きていた。この荘園整理令はその混乱を収拾して、全国の荘園・国衙領、公領を天皇の統治下に置くことを意図したものであり、荘園公領制の成立への大きな契機となった新制と評価されている。その国政改革を立案・推進したのが、後白河の側近である信西であった。
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