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能(14世紀)

主な曲目
本節では中世に成立した古典の曲目のうち、現在でも頻繁に上演されているものを紹介する。これらは現行曲と呼ばれ、流派によって異なるが、おおむね二百数十番が現行曲とされている。しかし歴史的にはこれらの他にも2000番から3000番程度の曲が作成されている。これら廃曲となった曲の中には、現代になって再演を試みられることもある。また、近代や現代においても新しい曲が書かれることがある。これらは新作能と呼ばれる。

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松林図屏風(1593年~1595年)

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