知恵の館(830年) 6月 24, 2022 イスラーム世界の高等教育機関 イスラーム世界において、最高度の学問の授与を目的とした最初の有名な施設は、アル・マアムーンが首都に設立した「知恵の館」だった。この施設は、翻訳事務所となったばかりでなく、学林および公共図書館としての機能も果たし、附属の天文台ももっていた。この時期に続出した天文台は、天文学を教える学校でもあった。それはこの当時にはじめて現れた病院が医学の研究所でもあったことと、動揺であることを忘れてはならない。 続きを読む
エローラ石窟寺院(8世紀) 6月 24, 2022 8世紀を中心とした石窟寺院 インドの中央部、マハーラーシュトラ州のデカン高原にある石窟寺院。5~10世紀にかけて開削されたらしいが、中心になるのは8世紀の半ばにデカン高原を支配していたラーシュトラクータ朝の時に造営されたヒンドゥー教寺院。しかし、ヒンドゥー教にとどまらず、仏教やジャイナ教の寺院も含んでいる。756年に即位した第二代のクリシュナ1世のころが、もっとも盛んに開削された時期であった。 続きを読む
プラタイアの戦い(紀元前479年) 6月 24, 2022 ペルシア戦争でのポリス連合軍の勝利 プラテーエー、プラタイアイとも表記。第4次ペルシア戦争での、ペルシア軍とアテネ・スパルタ連合軍の陸上での戦い。サラミスの海戦で敗れたペルシア軍は、陸軍が越冬し翌前479年7月に決戦を挑んだ。プラタイアの平原に迎え撃ったアテネ・スパルタ連合軍はスパルタの将軍パウサニウスの指揮の下、苦戦の末その進撃を食い止めた。スパルタのパウサニウスは名声を高めたが、祖国スパルタではペルシア王と内通しているとの噂が立ち、喚問された上で神殿に閉じこめられ餓死したという。 続きを読む
遠野物語(1910年) 6月 17, 2022 各題目および大要~ザシキワラシ~ 旧家にはザシキワラシという神様が住む事が少なくない。多くは12~13歳ほどの童子で、時折人に姿を見せることもある。先日も土淵村の大字飯豊の今淵勘十郎という家で、高校女学校で学ぶ娘が帰宅していた時のこと、廊下で男のザシキワラシに遭遇して驚いた事があったという。同じ村の山口に住む佐々木氏の家では、妻が独りで縫い物をしている時に、隣の部屋からなにやらガサガサと物音がするものだから板戸を開いてみるも人影は無く、しばらくは縫い物を続けていたが、しばらくすると今度は鼻を鳴らす音が聞こえてきたという。ザシキワラシが住む家は名誉も財産も思うがままだという。 続きを読む
広隆寺(603年、622年) 6月 17, 2022 弥勒菩薩像の由来 広隆寺には「宝冠弥勒」「宝髻弥勒」と通称する2体の弥勒菩薩半跏像があり、ともに国宝に指定されている。宝冠弥勒像は日本の古代の仏像としては他に例のないアカマツ材である。一方の宝髻弥勒像は飛鳥時代の木彫像で一般に使われるクスノキ材。 続きを読む
刀狩令(1588年) 6月 17, 2022 豊臣氏の刀狩令 この刀狩り令の発給は、実質は九州諸侯と淡路国の加藤嘉明などの近侍大名・武将の一部、畿内・近国と主要寺社に限られる。だが、豊臣政権の法令は、1590年8月10日の後北条氏の殲滅後の奥州仕置の諸政策総覧の確認のための石田三成あて朱印状は、刀狩りで「刀類と銃の百姓の所持は日本全国に禁止し没収した、今後出羽・奥州両国も同様に命じる」とされ、秀吉は、基本的な法令を含め全国諸侯には出さないが、一度発布した法令は全国に適用し、どこの大名と各地域も拘束するものと捉えていた。 続きを読む
英蘭戦争(17世紀後半) 6月 04, 2022 17世紀オランダの台頭 17世紀に入るとオランダは1602年にオランダ東インド会社を設立、海外進出を積極化させ、さらに1609年に実質的な独立を達成、ヨーロッパの中継貿易に進出して利益を上げ、また新大陸・東南アジア・日本に進出して、イギリスとの利害が対立するようになった。1623年のアンボイナ事件もその一つである。この三十年戦争の時期にオランダは海洋帝国として発展し、1648年のウェストファリア条約で国際的にもその独立が認められた。 続きを読む
ワールシュタットの戦い(1241年) 6月 04, 2022 モンゴルのポーランド侵攻 1241年に入り、モンゴル軍は凍結したヴィスワ川を渡り、サンドミェシュを掠奪したが、その年の四旬節のはじまる2月13日頃に多数の捕虜と戦利品とともに一時軍を退いたという。クラクフの諸侯たちはこれを追撃に出たがことごとく返討ちにあった。サンドミェシュでモンゴル軍は部隊をふたつに別け、北上させてポーランド中部のウェンチツァや中西部の中心都市クヤヴィ方面へも向かわせたという。 続きを読む
ボロブドゥール遺跡(8~9世紀) 6月 04, 2022 再発見と修復 その建造の経緯などは文献が無くよくわかっていない。10世紀にはジャワ島中部のムラピ火山が大噴火を起こし、人々が住めない状況となったため、ボロブドゥールの存在も忘れられてしまい、19世紀にイギリスのラッフルズによって再発見され、その後はオランダ人によって修復が進められた。最近ではユネスコの手で修復工事が行われ、その構造や建築技法が判ってきた。ボロブドゥール遺跡は東南アジアの仏教建築の最高傑作とされ、世界遺産に登録されている。 続きを読む
トラファルガーの海戦(1805年) 6月 02, 2022 背景 1805年、ヨーロッパ大陸は皇帝ナポレオン率いるフランス帝国の支配下に置かれていたが、海上の支配権はイギリスのもとにあった。イギリスは海上封鎖を行ってフランスの海軍力を抑止し、イギリス本土侵攻を防いでいた。 続きを読む
ヴェルサイユ行進(1789年) 6月 02, 2022 ヴェルサイユ行進の背景 ルイ16世は、議会が決定した封建的特権の廃止、人権宣言を承認しなかった。国王が裁可しないかぎり、法律は有効と成らないので、議会はいらだちが昂じていた。またこの秋は凶作で、パリでは食糧が不足し、パンが急騰して市民の不満が強まっていた。そんなとき、10月1日、国王がヴェルサイユ宮殿に招いたフランドル連隊の歓迎の宴会では、食糧がふんだんに出され、また士官達がパリ市民の三色記章を踏みにじり、マリー・アントワネットの色である黒いリボンを付けていた。これが伝わると市民の怒りは爆発した。9月に『人民の友』を発刊していたマラーは、人民に武器を取ってヴェルサイユに進撃せよと書いた。 続きを読む
サン・ピエトロ大聖堂(1506年) 6月 02, 2022 ルネサンス期の再興 ローマ帝国が滅亡して困難な時期を迎え、さらに中世の長い時期に放置され荒廃していたので、ルネサンス時代の1506年、教皇ユリウス2世が大改築を開始した。ブラマンテが最初の設計にあたり、次いでラファエロ、ミケランジェロなど、ルネサンス時代の芸術家がその設計や建設、壁画の制作などに加わった。ルネサンス様式の代表的な建造物とされる。 続きを読む